終わりよければ・・・(放送終了)

ピアニストのレネ・パウロさんが登場!

『音楽マスターピース』では、ハワイを代表するピアニストのレネ・パウロさんに

出演していただきました。

 

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今年83歳を迎える レネ・パウロさんは、先週水曜日の7月18日、

その美しいピアノとハワイを代表するボーカリストたちが織りなす

珠玉のハワイアン名曲集とも言うべきアルバム「デュエット」を

リリースされました。

 

今回は、そんなレネ・パウロさんに『日本人が行けなかったハワイ』

というテーマでお話し頂きました。

 

おそらく多くの方はハワイの風景を思い浮かべるとき、ゆったりとした

ウクレレやスティール・ギターの音色が聴こえてくるのではないかと

思われますが、実は1960年代から70年代のハワイでは、これとは

違う 「ラウンジ・ミュージックの楽園」と言われた、ホテルのラウンジに

美しいピアノが流れ、着飾った男女がゆっくりと酒を飲む風景が、

どこでも見られたそうです。

 

そして、レネ・パウロさんは、そんな1960年代から70年代のハワイで

人気・実力ともナンバーワンのピアニストと言われ、最も活躍された方です。

 

そんなレネ・パウロさんによりますと、1960年代から70年代にかけての

『日本人が行けなかったハワイ』というのは、アメリカ本土の人にとっての

夢の楽園で、日本人はほとんどおらず、アメリカ本土からの観光客は、

夜になるとドレスアップして、美しいピアノに耳を傾けながら、ホテルの

ラウンジでゆっくり酒を飲んでいたそうです。また、当時のワイキキは

"ラウンジ・ミュージックの楽園"と呼ばれる程、クラブやバー、キャバレー

(総称してラウンジ)が多数あり、あらゆる場所でピアニストが求められ、

船や、パン・アメリカン等の航空機で、アメリカから"夢の楽園"ハワイに

大挙押し寄せる観光客の前で、ロマンチックなハワイアンのナンバーを

奏でるレネさんは引っ張りだこだったそうです。その後、1970年代も

半ばから後半に入ると、アメリカの経済も苦しくなり、代わりに日本人が

たくさん訪れるようになり、音楽もウクレレやスティール・ギターが主流に

なっていったのだとか。

 

また、レネ・パウロさんは日本との関係も深く、1950年代、アメリカ軍属の

ピアニストとして様々な所に行った中で、日本で1年半程すごしたそうです。

その際、六本木や赤坂、銀座で「ジャズ・ピアニストの帝王」として日本の

社交界のトップクラスの人々の前で演奏したそうですが、奥さんである歌手の

アケミさんと一緒にステージに立つ事もあったのだとか。更に日本滞在時には、

中村八大氏と親交を結んだり、渡辺晋氏率いる「シックス・ジョーズ」のピアニスト

としても活躍され、渡辺晋氏からは「日本に止まって活動してはどうか」と提案

されたそうですが、日本には残らずハワイに戻ると、1960年代からいよいよ

ワイキキにて本格的な演奏活動をスタートされたそうです。

 

そんなレネ・パウロさんに、『日本人が行けなかったハワイ』を思い浮かべる

ことができる曲を紹介して頂きました。

 

 

☆レネ・パウロさんアルバムリリース情報

  レネ・パウロさんのアルバム『デュエット』が、税込2,600円にて発売中です。

 

 

今日、ご紹介いただいた音楽は・・・

1.ビヨンド・ザ・リーフ / レネ・パウロ

2.アカカ・フォールズ / レネ・パウロ

3.エ・クウ・モーニング・デュー / アケミ

以上の3曲でした。