終わりよければ・・・(放送終了)

8月20日~8月24日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、歌手の大槻ケンヂさん

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8月20日(月)「 人生でいつもビリっ尻(けつ) 」
子供の頃から「"我"とは何ぞや?」と自問自答するような文学的な少年だったという大槻ケンヂさん。とても気弱な性格で、小学校2年生の時に同級生から「明日からイジメてやる」と言われてからはビクビクする毎日。そこは、
『クラスのひょうきん物』というポジションを得ることで何とか上手く乗り切った大槻ケンヂさんでしたが、先生からは「お前は人生でいつもビリっ尻だ!」などと酷い言葉を浴びせられ...。
月曜日は、少年時代の大槻ケンヂさんの頭の中を覗いてみたいと思います。

8月21日(火)「 バンドやろうよ! 」
KISSのライヴに衝撃を受け、また、YMOのスタイルに影響されてロックに目覚めた大槻ケンヂさんは中学生の時に友人7人と「ザ・ドテチンズ」というバンドを結成。当時、担当していた楽器は「ゴミ箱」と「健康タケ踏み器」だった
そうです(笑)
火曜日は、この頃の話を中心に、大槻ケンヂさんの初恋エピソードなどを伺っています。
「ザ・ドテチンズ」のオリジナル曲も披露して下さいました。これは貴重ですよ!

8月22日(水)「 筋肉少女帯 結成 」
高校時代に結成したバンド『筋肉少女帯』には「大槻は音楽のことなど何も分からないから、俺たちは好き勝手なことができる」と、腕に覚えのあるメンバーが続々と集結。演奏レベルも飛躍的にアップし、折からのバンドブームもあり、遂にはメジャーデビューするまでに成長しました。それなのに大槻ケンヂさんは大学の学食で一日に4食もカレーを食べているような怠惰な毎日。
水曜日は、突然のブレイクに戸惑うデビュー当時の大槻ケンヂさんを振り返ります。

8月23日(木)「 表現者としての模索 」
「音楽をやっていながら楽器もできないし楽譜も読めない」というコンプレックスと、「自分の表現手段は音楽だけではない」という考えから、筋肉少女帯がブレイクした後も様々なことにチャレンジしてきた大槻ケンヂさん。
中には執筆活動のように成功を収めたものもありましたが、当然、箸にも棒にも掛からなかったものも多々あったようです。
木曜日は、そのあたりのことを分かりやすい実例を交えながらお話くださいました。

8月24日(金)「 目指すは『弾き語り全国ツアー』 」
2,3年前から"人生後半のモチベーションを保つために"ギターの弾き語りを始めた大槻ケンヂさん。何と、来月には人生初の、夏フェスでの弾き語りライヴも決定したそうです。
最終日は、そのライヴに対する意気込みなどを語っていただきました。
指を動かしながら歌うことができないという理由で、以前にベースヴォーカルを挫折・断念した経験があるらしいのですが、果たして今回は大丈夫なのでしょうか...?

<大槻ケンヂ>
1966年生まれ、東京都出身。'82年、ロックバンド・筋肉少女帯を結成し、ケラ(現ケラリーノ・サンドロヴィッチ)主宰のナゴムレコードからインディーズデビュー。'88年のメジャーデビュー以降は、バンド活動のみならずバラエティ番組の司会を務めるなどマルチタレントとしても開花。執筆活動も精力的に行い、『くるぐる使い』('94年)、『のの子の復讐ジグジグ』('95年)が星雲賞受賞。また、小説『グミ・チョコレート・パイン』が映画化されるなど、他メディアへの広がりも見せている。