11月05日(月)「 回転禁止の青春さ 」
宮城県生まれ、埼玉県育ちの大友康平さん。
大友家は、当時としては珍しく、家庭内に日常的に洋楽が流れているような環境だったため、幼いころから音楽に囲まれた生活を送っていたそうです。そんな大友康平さんですが、本格的に音楽に目覚めたのは小学校高学年の時。
従兄のお兄さんの影響でギターを買ったのがきっかけでした。しかし、ギターのコードを押さえるのが難しいと分かると、次はドラムに夢中になり...。
月曜日は、大友康平さんが中古のオンボロドラムを夢中で叩きまくっていた日々にタイムスリップです。
11月06日(火)「 浮気なパレット・キャット 」
高校生の時に数多くのダンパ(ダンスパーティー)のステージをこなして、バンドに関するさまざまなことを学んだという大友康平さん。
必要に迫られてヴォーカルをやり始めたのもこの頃だったそうです。そして1980年、大学時代の仲間と「ハウンド・ドッグ」としてプロデビュー。その2年後には楽曲が化粧品のCMソングに起用されるなど順風満帆なプロ活動だったはずなのですが、世の中はそんなに甘くはなく、ここで世間の厳しさを知ることになりました。
火曜日は、ハウンド・ドッグ結成までのエピソードを中心に伺っています。
11月07日(水)「 涙のバースデー 」
「業界の人気は高いけれどレコーのド売り上げはイマイチ」。
そんな状態を打破するため、それまで仙台を拠点に活動していたハウンド・ドッグは1983年、東京に出てきていきなりの日本武道館公演という賭けにでます。
果たして、ヒット曲も知名度も動員力もないバンドの、一見 無謀とも思えるこの勝負の行方は?
水曜日は、この武道館ライヴの顛末を、文化放送の地下倉庫から発掘したライヴレコードとともにお送りします。
11月08日(木)「 ff (フォルティシモ) ~ 愛がすべてさ 」
武道館ライヴの後にメンバーの脱退などがあり、なにかとゴタゴタしていたハウンド・ドッグ。
「もうこれで終わりかもしれない。悔いのないように」という決意でアルバムを作り、その集大成として臨んだのが、今となっては語り草となっている「嵐の西武球場ライヴ」でした。
木曜日は、トラブル・アクシデントが続出した、この「伝説のライヴ」を振り返っていただきました。
また、ラジオパーソナリティーとしても人気だった大友康平さんに「セイヤング」や「スクールズアウト」での裏話もお聞きしています。
11月09日(金)「 スローモーション 」
"俳優・役者"としての顔も持つ大友康平さん。
初めて映画に出たときには「もう二度とやらない!」と思ったそうですが、今では、音楽とはまた違う表現方法として興味があるそうです。そんな大友康平さんが新たな表現方法として取り組んだのが「 J-STANDARD BALLADS 」というカヴァーアルバム。
最終日は、このアルバムのコンセプトや聴きどころを御本人の口から語っていただいております。
<大友康平>
1976年、東北学院大学在学中に学校の仲間とHOUND DOGを結成し、1980年にメジャー・デビューを飾る。軽快なロックンロールと重厚なバラードを武器にライブでは絶大な評価を得る。'85年シングル『ff(フォルテシモ)』が大ヒット。その後『Only Love』『BRIDGE』など数多くのヒットを生み出し、アルバム『GOLD』『BRIDGE』はオリコン1位を獲得。ライブでも武道館15日連続公演といった記録だけでなく、HIROSHIMAピース・コンサート(チャリティ)を10年間行い続け、被災者施設を建設するなど、日本のロック文化を常に担い続けてきた。また、数多くのバラエティドラマや映画にも出演し、役者としての評価も高い。