終わりよければ・・・(放送終了)

『四谷荒木町』

『くにまるジャパン探訪』では、邦丸さんと伊藤佳子アナウンサーが

『四谷荒木町』を訪れた模様をお送りしました。

 

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今回の旅の舞台は、1949年に局舎の建設が始まってから2006年の

7月まで、文化放送が半世紀以上に渡ってお世話になった町・「四谷」。

かつてのホームタウンに降り立ったジャパン探訪一行は、まず飲食店や

飲み屋さんなどが数多く立ち並ぶ「しんみち通り」へ。当時のままの姿で

営業を続けられているお店もありましたが、残念ながら閉店していたり、

別のお店に変わっているところも多く、時の流れを感じた一行でした。

 

そんな「しんみち通り」を通り抜けた一行は、続いて文化放送跡地へと

歩を進めました。 かつて、多くの文化放送関係者がお世話になった

「幸寿司さん」や、邦丸さんが頻繁に二日酔いのクスリを購入したという

「藤井薬局さん」など、懐かしいお店を発見してテンションの上がる一行。

 

そして、文化放送跡地に立っている立派なマンションを軽く眺めた後、

一行は四谷で最も風情のある町「荒木町」へと向かうことに。

 

「四谷荒木町」は、とても珍しい地形をしているところから、近年では

地形マニアが注目する地域となっています。 一見、台地の上に

飲食店が広がる、何の変哲もない盛り場に見えますが、実はその

中央部は大きく凹んでいて、他では見られないユニークな風景が

広がります。ちなみに、かつてこの地には松平摂津守のお屋敷が

あり、その庭園には大きな池がありました。池は明治以降、次第に

埋め立てられていき、かつての池の岸辺に家が建つようになったため、

結果として、珍しい窪地の町並みが生まれました。その後、戦前には

東京の東を代表する花街となり、全盛期には85軒もの芸者屋が軒を

連ね、芸者の数も二百数十人を数えたそうです。

 

そんな「荒木町」の坂を下った終点に、かつての大きな池の名残として、

今でも小さな池が残っているという情報を得た一行は、地元の奥様や

小学生に尋ねながら探し歩いていくと、遂に発見!!

 

その池は「策(むち)の池」という名前で、このあたり一帯は明治時代の

半ばには景勝地だったらしく、料亭などが軒を連ね、後には芝居小屋や

寄席などもあったのだとか。

 

「策の池」も発見することができ、「四谷荒木町散策」に満足した一行は、

恒例の"修行"を行うため、再び「しんみち通り」に戻ることに。

 

チューハイが100円、ビール小ジョッキが190円、ナポリタンが390円

というような激安の店「赤札屋」で心行くまで修行を堪能した一行は、

ほろ酔い加減で家路へと就きました。

 

次回は、『小平』を訪れる予定です。