終わりよければ・・・(放送終了)

10月27日~10月31日の「ラジオバイオグラフィー5冊のアルバム」のゲストは、高橋みゆきさん

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10月27日(月)
バレーボール一家で育った高橋さん。物心ついた時からバレーボールが側にあったそうです。バレーボールに限らず、水泳やバスケットボールなど、とにかく身体を動かす事が大好きでした。小学生の時に、車にはねられて宙を舞ったことがありましたが、足から着地をし、無傷で何事もなかったように走って家に帰ったそうです。初日は高橋さんのお子様時代を伺いました。

10月28日(火)
中学校でもバレーボール部に入部し、高校はバレーボールの名門、山形商業高校に進学されます。春高バレーでは全国ベスト16まで勝ち進みましたが、オリンピックまでは考えていませんでした。就職も考えましたが、やはり自分にはバレーボールしか出来ないと考え、Vリーグ・NECレッドロケッツに入団します。そして「シン」というニックネームの由来とは?

10月29日(水)
全日本への抜擢は2000年のシドニーオリンピックの年でした。そのオリンピックの最終予選直前だったため、心の準備もなく重圧もありました。結局、予選敗退でオリンピックには出場できませんでした。予選敗退は日本女子バレー初のことだったので、ボールも見たくない、人にも会いたくない、二度とこんな思いをしたくないと思うほど苦しみました。初めての挫折。そして4年後、アテネオリンピックの予選を迎えるのですが...。

10月30日(木)
2004年、アテネオリンピックに出場し8位入賞を果たします。その後、海外リーグに興味を持った高橋さんはイタリアのプロリーグ、ヴェネツィアに移籍します。反対もある中、活動の場を海外に移した時の心情を伺いました。イタリアでとても充実した日々を過ごした高橋さん。イタリア行きを反対していた柳本監督がイタリアまで来て掛けて下さった言葉とは...。

10月31日(金)
2008年には北京オリンピックに出場します。メダルは逃してしまいますが、充実感はあったそうです。一度、バレーボールを離れてみたくなり、NECレッドロケッツを退団します。その後、トヨタ車体に移籍しますが、バレーをやり尽くしたという思いがあり、引退を決意します。最終日の今日は、今後のこと、そして気になる恋愛観も伺いました。

<プロフィール>
1978年(昭和53年)12月25日、千葉県生まれ、山形県山形市出身。小学生の時、スポーツ少年団の監督をしていた父親の影響でバレーボールを始める。山形市立山形商業高校を卒業後、97年NECレッドロケッツに入団。Vリーグ1999‐2000シーズンに、新人賞を獲得。2000年、全日本代表に初招集されるが、シドニーオリンピック出場権を逃すという苦渋を経験。その後、02年のドイツ世界選手権では主将を任される。02‐03Vリーグでは、最高殊勲選手賞を受賞。04年アテネオリンピックに出場し、5位に。05‐06、06‐07と2シーズン続けて、イタリア・セリエAのヴィツェンツァでプレーする。07年9月にNECに復帰し、直後に行なわれた第14回バレーボールアジア選手権ではMVPを獲得し、日本の全勝優勝に大きく貢献。ポジションはウィングスパイカー。現在は幅広く活動中。