終わりよければ・・・(放送終了)

12月8日~12月12日の「ラジオバイオグラフィー5冊のアルバム」 のゲストは、柏原芳恵さん

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12月8日 (月) 「柏原芳恵さんの少女時代」
大阪で生まれた柏原芳恵さん。家族そろって音楽が好きという事もあって、小さい頃から歌に親しみがあったそうです。そんな柏原芳恵さんの芸能界デビューのきっかけは、小学校の卒業文集での夢なんだそうです。
ただ、元から歌手になりたい訳では無かったそうで...。

12月9日 (火) 「柏原芳恵さんがデビューするまで」
ノリでスター誕生にエントリーした柏原芳恵さん。
ダメで元々...と受けたオーディションでの様子を振り返っていただきました。
気が付いたらデビューまでの道筋が出来ていたという柏原芳恵さんのお話です。

12月10日 (水) 「柏原芳恵さんとあのヒットナンバー」
柏原芳恵さんの代表曲「ハローグッバイ」、「春なのに」。この2曲のエピソードについてお話をお聴きしています。
また現在の皇太子・浩宮様が、柏原芳恵さんのコンサートにいらした時のお話もお聞きしました。

12月11日 (木) 「素顔の柏原芳恵さん」
アイドルとして多忙の毎日を送っていた柏原芳恵さん。
色々な大人たちに守られていた事が影響してか、現在でも電車の乗り方がよく分からないんだそうです。
また、現在も独身でいらっしゃる柏原芳恵さんの恋愛観について、切り込んでみました。

12月12日 (金) 「柏原芳恵さんの創るという活動について」
粘土細工や陶芸などの創作活動にも精力的な柏原芳恵さん。
もちろん、歌手としても「詩」を作る活動をされています。
年齢を重ねてきたからこそ、書けるようになった曲がたくさんあると話す柏原芳恵さん。
「母親」に対する思いを綴った曲「Mama」に焦点を当てて、柏原芳恵さんの「創る」活動についてお話をお聴きしました。

<プロフィール>
1979年、日本テレビ『スター誕生!』に出場、グランドチャンピオンとなり、柏原よしえの名で1980年6月1日シングル『No.1』でデビュー。1981年発売の7枚目のシングル『ハロー・グッバイ』の大ヒットにより松田聖子らとともにトップアイドルスターとなる。また、女優として1987年映画『ビーバップハイスクール』のマドンナ、1988年『青い山脈'88』主演。以後、ミュージカルなどの舞台ワークで受賞歴多数。2005年、芸能生活25周年記念としてCD・DVD・写真集を発売した。

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そして、今週はSPウィークということで、「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム 特別編」もあります!ゲストは、荻野目洋子さん。
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12月8日 (月) 「小学生での最初のデビュー」
山口百恵さんが好きだった荻野目洋子さんは内気な子。でも、町内のお祭りで『津軽海峡冬景色』を唄って入賞してからは人前で歌うのがやみつきになったのだそうです。
そして、テレビのちびっ子番組にも出るようになり、9歳で一旦デビューします。でもなんとなく間違った大人になりそうだなと思った洋子さんは一旦辞めてしまいます。
兄妹は4人。4人が遊ぶためにお父さんは手作りで卓球台を作ってくれたのだそうです。なので洋子さんは卓球好きで、中学時代には県大会に出るぐらいの腕前になっていました。姉の慶子さんよりも・・・、と、照れながら語る荻野目洋子さんです。

12月9日 (火) 「15歳でのソロデビュー」
普通の中学生生活を送った荻野目洋子さんでしたが、進路を考えるときに「歌しかない」と考え、事務所に連絡を取り、「未来航海」でデビューします。アニメ「みゆき」の声優もやっていたからかキャンペーンにはたくさんの人が集まってくれたのだと、当時を振り返る荻野目さんです。その頃、お姉さんの荻野目慶子さんはもう活躍中。でも、全然会う機会は無く、インタビュー記事などで「姉がライバル」と書かれると、自分は自分なのにとちょっと腹を立てていた洋子さんでした。

12月10日 (水) 「ダンシングヒーロー」 
荻野目洋子さんの最初の大ヒットは「ダンシングヒーロー」。今までとは違う16ビートの曲でしたが、スタッフ全員にヒットの予感があったのだそうです。最初に歌ったときはまだ歌詞を覚えきれていなくて、なんと、譜面台を置いた上に唄い直しまでしたのだと、洋子さんは笑って話します。ベストテン番組にも出るようになった荻野目さんは「それまでは自分で限界を決めていた。計算ではできない、ヒットしてからは毎日がうれしかった」と話してくれました。好きな人もできました。後に御主人になる方ですが、その時は「仕事を取るか結婚するか」と事務所に言われて、迷わず仕事をとったのだそうです。その訳は・・・。

12月11日 (木) 「アイドルから大人のシンガーへ」
19歳の時、荻野目洋子さんはダンスのレッスンの為に渡米します。日本人とは気にするところが違い、恥ずかしいという感情よりも、何を吸収し自分をどうPRするかを考えるアメリカの文化を感じられたのが一番の収穫だったと荻野目さんは話します。帰国後には武道館での単独コンサートがありました。武道館ははじめてビリージョエルのライブを見たところだったのでとても緊張し、こなすことで精一杯だったと笑う荻野目洋子さんでした。

12月12日 (金) 「御家庭での荻野目さん」 
荻野目洋子さんには3人の娘さんが居ます。子育ては大変だったけれど、大型犬で事前に練習していたので大丈夫、今は皆良い子に育っていると洋子さんは笑います。一旦ステージから遠のいていた荻野目さんですが、25周年を機にまた歌手に復帰しました。せっかく復帰するのだからとデビュー前と同じトレーナーさんに練習をつけてもらった、何事にも真面目な荻野目さんです。これからの目標を伺ったら、ずっとステージで輝いていたいと荻野目洋子さんは迷わず話してくれました。

<プロフィール>
1984年、シングル『未来航海』でデビュー。以来、数多くのシングル、アルバム(ベスト盤含む)を発表。シングル『ダンシング・ヒーロー~Eat You Up~』『六本木純情派』、アルバム『ノン・ストッパー』など、数々の大ヒットを放つ。また、米音楽界の大物プロデューサー、ナラダ・マイケル・ウォルデンといち早く組み、英語・日本語の両バージョンで発表したアルバム『VERGE OF LOVE』や、CMタイアップによるヒットの先駆けとも言える『ねえ』『STEAL YOUR LOVE』『コーヒールンバ』、フジテレビの人気番組『ウゴウゴルーガ』とのコラボレーション・アルバム『DELUX』、クラブ・シーンの先端アーティスト達と組んだアルバム『Chains』など、多岐にわたる歌手活動を展開。通算39枚目のシングルは日本テレビ系の人気番組『知ってるつもり?!』のテーマソングとして起用された。2005年にはデビューシングルから数々のヒット曲を盛り込んだベストアルバム『COLEZO!』をリリース。