終わりよければ・・・(放送終了)

2月16日~2月20日の「ラジオバイオグラフィー5冊のアルバム」のゲストは斉藤慶子さん

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2月16日(月) 「週50時間の勉強と初めてのエスカレーター」
親に反抗することもなく、優等生だった斉藤さん。学校以外で週に50時間も勉強していたそうです。夜は早く、朝型。勉強の目的は、当時テレビを見て憧れたスチュワーデスになること。高校の修学旅行で東京に来たとき、はじめてのマクドナルドを経験。買う前にリハーサルまでしたそうです。しかし店員にいわれた一言に戸惑ってしまいます。

2月17日(火) 「大学に入ったらパラダイス」
いつまでに何かをしなければならないという制約があまりなかった大学時代を「パラダイスだった」と振り返ります。4畳半のアパートはなんと北向きの部屋で冬には部屋に氷が張るという厳しい環境でしたが、楽しくてしょうがなかったそうです。大学近くのデパートでスカウトされ、モデルになるのですが、それがきっかけで東京に出ることになり、芸能界へ進んでいくことになるのです。

2月18日(水) 「芸能界に入って」
ラジオでは文化放送ミスDJパレードも担当。そのころの思い出を語ってくださいました。
その後、女子大生ブームで伝説のクイズ番組「クイズダービー」に出演します。この時すでに竹下景子さんが出演しており、同じ「ケイコ」が二人いる。これは紛らわしいから名前を変えるように事務所に話があったとか。初めてのドラマ出演については鮮明に覚えているそうです。

2月19日(木) 「映画 東雲楼 女の乱」
1994年公開の映画 東雲楼 女の乱 に出演し、女優として高い評価を得た斉藤さん
その苦労話をお聞きしています。また、お子様を生んだ時の話もしてくださいます。

2月20日(金) 「プライベートについて」
プライベートでは中学生のお嬢さんがいらっしゃいます。
なかなか料理は難しいと漏らします。食事は味ではなく、空間の居心地がいかにいいかによって良さが変わると思っているそうです。女優としてやってみたい役についても語っていただきました。

<プロフィール>
1961年7月14日生まれ。宮崎県出身。1982年JALの「沖縄・夏」キャンペーンガールでデビュー。NHK大河ドラマ『秀吉』(1996年)、 天うらら(1998年)、連続テレビ小説『わかば』(2004年)などに出演。

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そして、今週はSPウィークということで、「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム 特別編」もあります!ゲストは、cobaさん。
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2月16日(月)「3歳で作曲」
アイコーディオニストであり、作曲家であるcobaさんは一人っ子、これ以上無いというぐらいにまじめなお父さんの下で育ちました。こんなお父さんの唯一の趣味はアコーディオン、cobaさんの家の押入れの上段には、すぐに弾けるようにアコーディオンがおかれれていたのだそうです。
cobaさんは音感教室などで音楽性を磨いていきます。その頃作った歌を口ずさむcobaさんはとても楽しそう。
アコーディオンとの出会いは小学校4年生の時、誕生日に人生ゲームが欲しかったのにお父さんはアコーディオンを買ってきてしまったのです。その時の落胆した様子を、cobaさんは昨日の事のように話してくれました。

2月17日(火)「アコーディオンの魅力に取りつかれる」
お父さんが買ってきたアコーディオンは半年間手付かずでした。しかし、学校の校庭での伴奏をするためにcobaさんはアコーディオンを弾くことにします。そして一音出した瞬間、体中に染み渡るアコーディオンの音に、cobaさんは魅せられてしまったのでした。しかし、アコーディオンの地位は決して高くないということにもcobaさんは気が付きます。そして、このみにくいアヒルの子をどうやったら白鳥にできるかという事をcobaさんは考えるようになりました。

2月18日(水)「アコーディオンの本場、イタリアでの日々」
自分の進路を考え始めたcobaさんは、18歳の時にイタリアのアコーディオンメーカーに手紙を書き、最終的にベネチア?にある世界最高峰の学校でアコーディオンの勉強をするようになります。試験では落ちたと思った、そして入学してからも他の生徒との経験の差を生めるのが大変だったと語るcobaさんです。
世界アコーディオンコンテストに優勝、学校も無事卒業したcobaさんに、周囲はイタリアに残ることを勧めますが、cobaさんは断り、帰国します。

2月19日(木)「日本で音楽活動を開始」
cobaさんは日本に帰ってきますが、日本ではぜんぜんアコーディオンの仕事がありませんでした。日本ではまだアコーディオンはみにくいアヒルの子、10年間、よく生きていたなとcobaさんは話します。
でも、ランバダがヒットすると環境は一変します。仕事の電話はどんどん入り、一番多い日は1日で10曲レコーディングしていたとcobaさんは話してくれました。
その頃、cobaさんは本名での活動を止め、芸名「coba」を名乗るようになります。海外のレコード店で自分の名前が誤記されていたのがそのきっかけだったのだそうです。
メジャーデビュー、ビヨークとのワールドツアー参加など、cobaさんの活躍の場はあっという間に広がっていきます。この業界は怖いなぁと、cobaさんはしみじみ語ってくれました。

2月20日(金)「cobaさんの思い」 
Cobaさんは日本で活動するにあたって3つの封印を決めていました。伴奏楽器と思われたくないので伴奏はしない。新しい分野を作りたいのでカバーはやらない。そして、一人オーケストラと言われないようにソロはやらない。でも、cobaさんは2年前にこの封印を解きはじめたのだそうです。その訳を訊いてみると「もう良いかな」と思ったと、cobaさんは笑います。本来ソロの楽器だし、カバーもとても似合う、そして、もう、前のイメージには戻らないだろうと考えたのだそうです。
そんなcobaさんの夢は意外な事です。期間限定でヨーロッパにあるものを作りたいのだそうです。

<プロフィール>
数々の国際コンクールで優勝。以来、ヨーロッパ各国でのCDリリース、チャート1位獲得など、"coba"の名前と音楽は国境を越え世界の音楽シーンに影響を与え続けている。今日までプロデュースしてきた映画、舞台、テレビ、CM音楽は500作品を超える。