終わりよければ・・・(放送終了)

3月2日~3月6日の「ラジオバイオグラフィー5冊のアルバム」のゲストは及川光博さん

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3月2日(月)「子供の頃の話」
及川光博さんの御両親は働き者で家にあまりいないため、及川さんはメイドさんに囲まれた子供時代を過ごしました。中学では演劇部に入り、ファンクラブまで出来ましたが、逆に男子の中では浮いてしまってちょっと辛い思いをしたそうです。
そこでロックバンドを組み、学園祭で活躍してみると、男女関係無く打ち解けられるようになり、これが及川さんの将来を決定づける事となりました。なんと15の時に、もう、普通のサラリーマンにならないと決めていた及川さんです。
この頃の自分を振り返って「ギャラなしサービス業」と揶揄する及川さんですが、必要とされないのなら調子に乗れない、それは今も同じと、及川さんは変わらぬ気持ちを語ってくれました。

3月3日(火)「25歳で念願のデビュー」
周囲の反対を押し切って俳優を目指した及川さんですが、そこには25歳までに目が出なければ諦めるという約束がありました。でも、なかなかうまくいきません。
そこで及川さんはライブハウスでも歌いだし、キャラクター、トーク、更にはインパクトが無ければダメだという事に及川さんは気が付きます。王子様キャラクターの誕生です。
でも、せっかく芽が出ても王子様キャラはバラエティでいじられてばかり、だんだん窮屈になり、及川さんはこのキャラクターを捨ててしまいます。ファンとメディアの両方の期待に応えようとしたけどダメだったと及川さんは話してくれました。そして選んだのは・・・・。

3月4日(水)「俳優として」 
及川さんの俳優デビューは連ドラの「With LOVE」。この時は失敗したら次は無いなと思いながら夢中で演じたそうです。 
そして一番のヒットは「相棒」の神戸尊。何で僕なんだろうと驚くと共に、プレッシャーで負けないには笑うしかないからと、実際に笑いながら撮影に臨んだと当時の思い出を話してくれる及川さんです。
水谷豊さんからもらった、「俳優の演技は台本以上」という言葉の通りに、自分が思う事を試し、神戸尊(役名)の形が出来上がったと及川さんは当時を振り返ってくれました。

3月5日(木)「多忙な日々」 
ドラマの撮影の合間にアルバムを出し、全国ツアーをこなしていた多忙な毎日でも、意外と切り替えはできてると及川さんは話してくれました。参加するものと主体的な物の違いなのかなと自分を分析しています。
哲学を勉強した為かいつも不安を抱えている言いつつも、及川さんは毎日を楽しんでいるのだそうです。自分という素材を使ったスター育成ゲームをやっているようだと言います。いろいろ仕事をしてみて、及川さんは御自身の仕事のやりかたに一つの結論を見出しました。及川さんが熱く語ってくれた、それは・・・。

3月6日(金)「巡り合わせの日々」
及川さんは40にして後に奥さんとなる檀れいさんに出会います。仕事も結婚もめぐり合わせ、こつこつとやっていると誰かがみていてくれると話す及川さんには、とうとう仮面ライダー3号の役まで廻ってきました。
もしも歌手で無かったらと何になっていましたか?という質問に、及川さんは迷うことなく、イベントのプロデューサと答えてくれました。本当は裏方タイプ、だけれども、一番の素材が自分だったと、少し照れながら話す及川光博さんでした。

<プロフィール>
1996年シングル『モラリティー』でメジャーデビュー。以降、自身のライヴ活動のほか、他アーティストとのイベントプロデュースや、NHK大河ドラマ『利家とまつ』やフジテレビ『白い巨塔』、舞台でも美輪明宏演出・主演の『毛皮のマリー』に出演するなど活動は多岐にわたり、2009年には主演映画である『クローンは故郷をめざす』が公開されたほか、テレビ朝日ドラマ『相棒 season7』最終回で、水谷豊扮する"杉下右京"の相棒"神戸尊"として出演。以降、『相棒 season ten』まで出演。その他の主な出演作品に、CM『サントリー「C.C.レモン」』や『コミュニケーションアプリ「LINE」』など。