終わりよければ・・・(放送終了)

5月5日~5月8日の「サロンdeくにまる」のゲストはささきいさおさん

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5月5日(火)「歌との出会い」
中一の頃は学年トップの成績だったささきいさおさんですが、復習を必要とするようになる頃から成績はみるみる下がっていきます。家での勉強に身が入らず、ラジオ等の工作にのめりこみ始めたささきさんはレコードプレーヤーなども作りますが、これに掛けるレコードを店員さんに選んでもらった事で、エルビスプレスリーのレコードに出会います。ささきさんは歌が上手。レパートリーは少ないもののエルビスをうまく歌うささきさんは人気者になります。そしてこの歌を聴いた堀威夫さん(ほりたけお、後のホリプロの社長)は、「和製プレスリー」としてささきさんを売り出すことにしたのでした。

5月6日(水)「声優のお仕事」
バンドで唄い始めたささきさんに映画の話が舞い込んできます。最初は和製ジェームズディーンというあだ名も貰うぐらいになったささきさんですが、斜陽の映画には人が入らず、テレビに出てもだんだん役が悪くなってくるという、あまり良い状態ではありませんでした。そんななか、声優の仕事を頼まれたささきさんは、ガッチャマンのコンドルのジョーの役を演じ、人気を得ます。そして主題歌を唄うまでになりました。

5月7日(木)「宇宙戦艦ヤマト」
ささきいさおさんに、アニメ・宇宙戦艦ヤマトの仕事が舞い込みますが、裏番組に負けたヤマトは数字が全然取れませんでした。仕事の無い時は釣りをしていた、アニメを吹き込んでいた時代は不遇の時代だったと、ささきさんは当時を振り返ります。しかし、宇宙戦艦ヤマトには熱心なファンがついていて、総集編映画を作った頃から急に人気が出てきます。あっという間にヤマトブームが沸き起こっていました。

5月8日(金)「デビュー55周年を迎えて」
ヤマトの主題歌のレコーディングは手間が掛かった。だから苦労した記憶しか無いが、これはそれだけ音楽に対して一生懸命だったからと、ささきさんは話します。そんな中、ささきさんは深夜のラジオ番組、セイヤングに出演します。今でいうアニラジの走りです。今は第二次アニメブーム。その頃に育った人が今のアニメブームを作っていると感じているのだそうです。アニメの主題歌は若人に対するメッセージ、大人になるまでに、いつかその意味を理解してほしいと話すささきさんでした。

<プロフィール>
1960年、『和製プレスリー』のキャッチフレーズでコロムビアレコードよりロック歌手としてデビュー。 松竹映画専属俳優として『太陽の墓場』(大島渚監督作品)等に出演。その後、新劇や商業演劇(ミュージカル・シェイクスピア劇など)に参加しながら、基礎から勉強しなおす。『宇宙戦艦ヤマト』主題歌のヒットにより再び脚光を浴び、歌手、役者、声優、パーソナリティー、司会者、レポーター...として、テレビ、ラジオ、舞台、ディナーショー、講演、各種イベント...等で幅広く活躍。