終わりよければ・・・(放送終了)

10月26日~10月30日の「ラジオ サロンdeくにまる」のゲストは仲井戸麗市(CHABO)さん

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10月26日(月)「デビューのきっかけ」
仲井戸麗市さんは新宿生まれ。鶏のチャボが自分に似ているので、後にCHABOを名乗る仲井戸さんですが、なんと小さい時は野球少年でした。それが変わったのはビートルズの曲に出会ってから。レコードを買い、ギターを習い始めた仲井戸さんですが、3年してからクラシックギターを習っても何にもならない事に気が付いたのだそうです。
渋谷で仲井戸さんは加奈崎さんに出会い、古井戸を結成。本来の方向性では無いものの「さなえちゃん」というヒット曲も生まれます。この方向性の事が葛藤となり、後にいろいろな事件をおこしてしまうのですが、CHABOさんはその頃やらかした事を懐かしそうに話してくれました。

10月27日(火)「RCサクセションに加入」
忌野清志郎さんとの出会いは意外と古く渋谷で唄い始めた頃でした。そして1979年にCHABOさんはRCサクセションに加入します。
忌野さんはリズムアンドブルースをやりたくて、でも方向性が良くわからず試行錯誤の状態でしたが、だんだん形ができてきます。忌野さんは当時新婚だった仲井戸さんの家に良く泊りに来て、ビールを飲みながら音楽を作っていました。
名曲、雨上がりの夜空に では、周囲の勧めでレコーディングするときに歌詞を変えたのだそうですが、これは今も後悔していると話すCHABOさんです。

10月28日(水)「忌野清志郎さん」
RCサクセションはヒット曲こそ無いけれど記憶してもらえるバンド、ぶっ飛んでいてキラキラしていたと当時を語るCHABOさんは、忌野清志郎さんの病気を告白されてからはどんなふうに接していいかわからなかったと当時を思い出してくれました。
清志郎さんの葬儀で、CHABOさんは清志郎さんのギターを高々と掲げてみせます。忌野さんの楽器係の青年がギターをわざわざ渡してくれたのだそうで、その思いが熱かったと話してくれました。
思い出話がちょっと辛そうなCHABOですが、新曲、僕らのビックピンクでは、その清志郎さんとの思い出を唄っています。

10月29日(木)「デビュー45周年」
デビューから45周年の感想を訊かれたCHABOさんは、40代にしてはじめて、バンドマンを職業と意識したのだそうです。そして、肉体と精神は反比例するという言葉が気になっているCHABOさんは、肉体が衰えたら精神がぶっ飛んでいかないといけないと話してくれました。
自分が重たい子供だったので、19ぐらいからCHABOとして生きてこられたのがとてもよかった。でも、ティーンエイジャーの悩みは歳を取っても解決しないと、CHABOさんは笑いながら話します。

10月30日(金)「これからについて」
CHABOさんは人づきあいが苦手でしたが、最近は若い人と良く会っているのだそうです。良い刺激になると話すCHABOさんです。
また、CHABOさんにとってギターはパスポートであり、社会との接点でもあるのだそうです。これからも可能な限り少しでも長くギターを弾いていたい、少しでもライブをやりたい、曲を作りたいと話してくれました。ギターから一生離れられないであろうCHABOさんでした。

<プロフィール>
1950年、東京都出身。1970年、古井戸でデビュー。79年忌野清志郎が率いるRCサクセションに加入。1990年、RCサクセション無期限活動停止を機に本格的なソロ活動を展開。91年に土屋公平とのユニット・麗蘭(れいらん)を始動。毎年年末には、京都・磔磔でLIVEを行っている。執筆書「だんだんわかった」「1枚のレコードから」「ロックの感受性」絵本「猫の時間」(写真家おおくぼひさこさんとの共作)を発表。