終わりよければ・・・(放送終了)

1月25日~1月29日の「ラジオ サロン・de・くにまる」のゲストは一路真輝さん

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1月25日(月)「宝塚へのあこがれ」
愛知県名古屋市出身の一路真輝さんは、小学校6年制の時、初めて名古屋の中日劇場で宝塚歌劇団の定期公演を観劇します。その時、身体に電流が走り、絶対にこの世界に入りたいと強く思ったそうです。電車を乗り継ぎ、宝塚大劇場にも足を運びました。その宝塚のホテルで偶然、当時の宝塚のスター麻実れいさんをお見かけし、勇気を振り絞って声を掛けました。その後、宝塚で麻実れいさんと同じ舞台に立つことになるのですが...。初日の今日は、麻実れいさんとのエピソードを交えて宝塚へのあこがれをおうかがいしました。

1月26日(火)「宝塚音楽学校での日々」
特に専門のレッスンを受けていなかった一路さんですが、なんとか難関をくぐり抜け宝塚音楽学校に入学します。上下関係が厳しいと噂も聞きますが、一路さんはどんな学校生活を送っていたのでしょうか?ところで宝塚には「男役」「女役」がありますが、どのように決めているかご存知ですか?今日は知られざる「宝塚音楽学校」の内側について、一路さんの体験を元にお話しいただきました。

1月27日(水)「宝塚トップスターとして」
宝塚歌劇団でトップスターとして活躍してきた一路さん。一路さんが考えるトップスターの条件とは?男役としても女役としても活躍し、憧れの麻実れいさんの相手役も演じます。しかし、いつかは宝塚を去らなくてはなりません。「華やかなりし引退」を考え始めた時「エリザベート」というミュージカルをやらないか、という話が来ます。この作品を本場ウィーンまで観に行った時、一路さんの心が決まります。今日は宝塚時代とその引退までのお話です。

1月28日(木)「宝塚退団後の女優・一路真輝」
宝塚を引退し、TV、映画に出るようになりますが、映像作品はやったことがなかったため専門用語も解らず、演技とは別のところでかなり苦労されたそうです。CDの歌入れを行った時も、舞台の中心で歌っていた時とは歌い方を変えなければならず、宝塚時代との違いを痛感します。「恩師は木村佳乃さん、師匠は泉ピン子さん」と語る一路さんですが、それはどういうことなのでしょうか?

1月29日(金)「プライベート一路真輝」
2006年にご結婚されて女の子を出産され、女優業を無期限休業されました。目の前のことに関して、全身全霊を掛けてしまう性格の一路さんは子育てにも猪突猛進していきます。頑張りすぎて、追い詰められてしまったとき「一曲だけ歌ってみないか」と声を掛けられ、コンサートでゲストとして歌います。その時、4歳の娘さんが「ママ、かっこよかった」と喜んでくれ、その顔を見て、自分が頑張っている姿を子供に見せることも必要だと気づきます。最後にこれからチャレンジしたいこともお伺いしました。

<プロフィール>
宝塚歌劇団トップスターとして『風と共に去りぬ』(スカーレット・オハラ役)、『ベルサイユのばら』(オスカル役)などの話題作に出演し、1996年日本初演となる『エリザベート』(トート役)で退団。 同年に、東宝ミュージカル『王様と私』のアンナ役で女優としてのスタートを飾る。2000年にはタイトルロールとして東宝版『エリザベート』に臨み、その後2006年(日生劇場)まで出演。一方で『キス・ミー,ケイト』『イーストウイックの魔女たち』では一転、茶目っ気あるコメディエンヌぶりを発揮。また2006年日本初演『アンナ・カレーニナ』では哀しい運命のヒロインを鮮やかに演じる。 結婚・出産を経て、2010年3月、久々のコンサート『live@クリエ』を行う。同年末から5年振りの再演となる『アンナ・カレーニナ』で自身も5年振りに本格舞台復帰。以前にも増した熱い演技にミュージカル女優としての存在を新たにする。 1996年第22回菊田一夫演劇賞、2004年第12回読売演劇大賞優秀女優賞受賞。