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アクティビスト・ジャパンの最近のブログ記事

「NPO法人 食といのちのお結び隊」代表の中溝裕子さん

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1965年滋賀県生まれ。14歳でプロゴルファーになると決意し、

23歳でプロテストにトップで合格。滋賀県初の女子プロとなる。

しかし、プロ3年目の1991年に10万人に1人といわれる血液の難病

「骨髄異形成症候群」を宣告される。それでも試合に出場し続けるが。

プレー中に倒れ、1997年12月に妹さんがドナーとなり骨髄移植を受ける。

その後。拒絶反応によって入院。食事がとれず、3年間点滴生活を過ごす。

この闘病生活の経験から「食の大切さを広めたい」と

去年の4月にNPO法人「食といのちのお結び隊」を設立。

その活動の一つとして、前向きに明るく生きる力をくれる絵手紙教室も行っている。

 

中溝さんに書き下ろしてもらった絵手紙は今月にメール・FAXを採用された方にプレゼント!

中溝裕子の笑手紙集「遊裕字適」が税込1080円で発売中!

 

絵手紙教室やイベントの詳細はこちらをご覧ください。

「NPO法人 食といのちのお結び隊」のHPはコチラ

中溝裕子さんのHPはコチラ

NPO法人「STAND」代表理事 伊藤数子さん

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NPO法人「STAND」代表理事であると同時に

金沢に本社を置く株式会社パステルラボの代表取締役社長。

2003年から電動車いすサッカーなど、競技大会のインターネットライブ中継を開始。

2005年にNPO法人「STAND」を設立し、障害者スポーツ事業を本格始動。

現在、ウェブサイト「挑戦者たち」の編集長として障害者スポーツの魅力を配信。

また、スポーツイベントや体験会を開催している。

今年からはパラスポーツの為のボランティアアカデミーを開講。

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問、

日本パラリンピアンズ協会アドバイザーなども務める。

 

NPO法人「STAND」のHPはコチラ

Timeless Band 中村耕一さん

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1951年生まれの64歳。JAY WALKの結成と同時にボーカルとして参加。

「何も言えなくて...夏」をはじめ多くのヒット曲を歌う。

しかし、2010年、覚せい剤取締法違反および麻薬取締法違反の罪で

懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を受け、バンドから脱退。

すべての音楽活動から離れる中、東日本大震災のボランティア活動を通じ

もう一度歌いたいと再起を決意。2013年にはソロアーティストとして活動を開始。

またソロ活動とは別に「Timeless Band」を結成し、

今年1月にはアルバム「Song Bird」をリリース。

 

中村耕一さんの公式HPはコチラ

東小雪さん 増原裕子さん

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東小雪さんは、1985年、石川県生まれ。

元宝塚歌劇団花組男役「あうら真輝」として活躍。

2010年秋より芸名とセクシュアリティをカミングアウトして

LGBT支援に携わっている。

 

増原裕子さんは、1977年、神奈川県生まれ。

慶應義塾大学大学院を卒業。専攻はフランス文学。

LGBTが安心して暮らし、働ける社会を目指して日々発信している。

 

今日は先月の28日にニューヨークで行われたパレードについて伺いました。

 

お二人の会社トロワ・クルールのHPはこちら!

ミュージカル落語家 三遊亭究斗さん

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1963年、香川県出身。1988年に劇団四季に入団し、在籍した10年間で海外公演を含め

数多くのミュージカルの舞台に立つ。1997年に春風亭小朝師匠の元に入門。

その後、三遊亭円丈師匠の門下に移籍。

劇団四季での経験を生かして創作されたミュージカル落語は

高いエンターテインメント性、メッセージ性をもつ、笑あり涙ありの内容で、

従来の落語ファン以外からも注目を集めている。

2014年3月、51歳にして真打に昇進。

最近はミュージカル落語を全国各地で開かれる子ども向けの講演会で上演し

「いじめの撲滅」に取り組んでいる。

メイン演目である「一口弁当」は平成23年度文化庁芸術祭参加公園に選ばれている。

 

ミュージカル落語「一口弁当~いじめ撲滅の願いを込めて」のDVDが発売中。

公演の情報など詳しくは三遊亭究斗さんのHPをご覧ください。

HPはコチラ

ダイヤ精機株式会社 代表取締役社長 諏訪貴子さん

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1971年、東京生まれ。

大学卒業後、自動車部品メーカーに入社し、結婚を機に退社。

母となった後、1998年、お父様である先代社長の要請を受けて

ダイヤ精機に入社するが、半年後にリストラ。

その後、再び入社するも再度リストラされる。

しかし2004年、先代の急逝に伴い、32歳で主婦から社長に。

その後10年でダイヤ精機を全国から視察者がくるほどの

優良企業に育てる。2013年にはWoman of year大賞を受賞。

 

去年11月、日経BP社から

「町工場の娘~主婦から社長になった2代目の10年戦争~」が

1600円+税で発売中。

 

ダイヤ精機のHPはコチラ

JTB時刻表 17代目編集長 大内学さん

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月刊誌のJTB時刻表は、1925年(大正14年)の4月に汽車時刻表の名称で創刊。

80年代は200万部を売り上げ、多くの試練を乗り越え今年で90周年。

今も月平均で9万部の売り上げを誇る。

 

そのJTB時刻表の17代目の編集長である大内学さんは、

大学卒業後、株式会社日本交通公社、現在の株式会社ジェイティービーに入社。

出版事業局時刻表編集部に配属され、JRチームで地元の常磐線の担当からスタート。

その後、東海道・山陽本線、北陸本線、九州等を担当。

広告部での4年間の勤務を経て、編集部に戻り、2013年に副編集長に。

そして2014年4月から編集長に就任される。

 

JTB時刻表のオフィシャルフェイスブックはコチラ

バリアフリー活弁士 檀鼓太郎さん

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1962年、東京都生まれ。三船芸術学院の第一期生。

卒業後は番組制作の仕事を経て劇団で役者として活動。

1990年に西舘好子さんが主宰する「みなと座」に入り、この時に

檀鼓太郎という芸名がつく。「みなと座」解散後もフリーの役者として活動される一方、

2001年、バリアフリー映画推進団体「シティライツ」の依頼を受けて

映画の吹き替えを担当。演劇活動の合間に「語り」の技術を活かし、

視覚障害のある方への映画のライブ音声ガイドのボランティア活動を開始。

これまで劇場で解説した映画は200本以上。

特に「ハイブリッド音声ガイド」は檀鼓太郎さん独自の技。

 

6月27日、西横浜のシネマ・ノヴェチェント

6月28日は新百合ヶ丘の川崎市アートセンターでハイブリッド音声ガイドで鑑賞会が行われる。

詳しくはシティライツのフェイスブックをご覧ください。

シティライツのHPはこちら

「日本駆け込み寺」代表・玄秀盛さん

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1956年大阪生まれ、壮絶な半生を過ごしてきた玄さん、

2000年、献血の際に白血病のウイルス保菌者であることが判明し、

人生を180度変え過去と決別。

2002年、新宿歌舞伎町で社会的弱者を助ける駆け込み寺、

「新宿救護センター」を開設。2012年に公益社団法人「日本駆け込み寺」とし、

DVや多重債務、引きこもりなどさまざまな難題のよろず相談に無料で応じている。

また一般社団法人「再チャレンジ支援機構」の理事として

「支援居酒屋・新宿駆け込み餃子」のオープンに力を注いできた。

 

公益社団法人「日本駆け込み寺」のHPはコチラ

 

「支援居酒屋・新宿駆け込み餃子」のHPはコチラ

「NPO法人 食といのちのお結び隊」代表の中溝裕子さん

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1965年滋賀県生まれ。14歳でプロゴルファーになると決意し、

23歳でプロテストにトップで合格。滋賀県初の女子プロとなる。

しかし、プロ3年目の1991年に10万人に1人といわれる血液の難病

「骨髄異形成症候群」を宣告される。それでも試合に出場し続けるが。

プレー中に倒れ、1997年12月に妹さんがドナーとなり骨髄移植を受ける。

その後。拒絶反応によって入院。食事がとれず、3年間点滴生活を過ごす。

この闘病生活の経験から「食の大切さを広めたい」と

去年の4月にNPO法人「食といのちのお結び隊」を設立。

その活動の一つとして、前向きに明るく生きる力をくれる絵手紙教室も行っている。

 

中溝さんに書き下ろしてもらった絵手紙は6月にメール・FAXを採用された方にプレゼント!

 

中溝裕子の笑手紙集「遊裕字適」が税込1080円で発売中!

 

絵手紙教室やイベントの詳細はこちらをご覧ください。

「NPO法人 食といのちのお結び隊」のHPはコチラ

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