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11月8日~11月12日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」は、益岡徹さん

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今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、益岡徹さん!

11月8日(月)役者を目指すきっかけ
山口でお生まれになった益岡徹さん。子供の頃から映画が好きだったそうです。高校に入ってラグビーをやっていた益岡さん。友達の8ミリ映画に出演して「役者になろう」と思ったんだそうです。

11月9日(火)映画「影武者」
影武者の3次オーディションまで残った益岡さんですが、4次で落とされてしまいます。そんな益岡さんは「エキストラでいいから出してくれ」と頼み、出演します。映画「影武者」のお話です

11月10日(水)無名塾時代
大学卒業と同時に無名塾に入られた益岡さん。レッスンが好きではなかった益岡さんがとった行動とは? そして仲代さんに言われた深い言葉とは?

11月11日(木)NHK「はね駒」出演、そして「マルサの女2」
仲代達矢さんに言われたとおり、30代になってNHK「はね駒」「はっさい先生」と出演がきまります。そして「マルサの女2」の出演となりますが、益岡さんはNGを19回も出したんだそうです。

11月12日(金)映画「脇役物語」
現在上映中の映画「脇役物語」では主演をつとめられた益岡さん。今回は作品について熱く語っています。お友達、役所広司さんとのエピソードも伺っています。

<益岡徹>
1956年、8月23日生まれ。
1980年、早稲田大学商学部卒業と同時に、仲代達矢氏主宰の無名塾に入塾。
以後、映画・舞台・TVドラマの幅広い分野でどんな役もこなせる頼れる俳優として、息の長い活躍を続けている。
また、情感のあるナレーションにも定評があり、ドキュメンタリー番組やラジオドラマ、広告の作品が日本民間放送連盟賞などを、多数受賞している。

11月1日~11月5日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」は、今陽子さん

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今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、今陽子さん!

11月1日 月曜日 【おてんばピンキーの初恋物語】
今週のゲストは本日、59回目の誕生日を迎える
「ピンキーとキラーズ」のピンキーこと、今陽子さん。
愛知県の音楽一家に生まれ育った今陽子さんは、
おてんばで、明朗快活。まわりの男の子達からモテモテだったそうです。
そんな、今陽子さんの幼少時代の初恋話をお伺いしています。

11月2日 火曜日 【ピンキーとキラーズ結成】
お父様の仕事について行った時に「いしだあゆみ」さんのマネージャーに
スカウトされて上京した今陽子さん。
地方出身ならではのイントネーションやホームシックなどに
苦労されたそうですが、その苦労も実り、
ついに「ピンキーとキラーズ」としてデビューを果たします。
ピンキーとキラーズとしてデビューするまでのお話をお聞きしました。

11月3日 水曜日 【解散~結婚。波乱万丈の20代】
ピンキーとキラーズとしてヒットを飛ばし続けたのにもかかわらず、
音楽の方向性や、やりたい事の違いなどで、
デビューから4年で解散してしまいました。
そして、解散後、トップモデルだった元旦那さまと出会い、結婚されます。
ピンキーとキラーズを解散してから、
元旦那様と結婚されるまでのお話をお伺いしました。

11月4日 木曜日 【ピンキー、ニューヨークへ行く】
28歳の頃、離婚話をネタにした仕事ばかりの日々を打開するために、
今陽子さんは単身、ニューヨークへ渡ります。
そこで勉強に没頭し、自分を見つめなおすキッカケになっていたそうです。
アメリカでの生活と帰国後、
「私が変わったなぁ...。」と思った事をお話していただきました。

11月5日 金曜日 【これからの今陽子さん。】
「恋は無くては生きていけない。」という今陽子さん。
小さい頃からの『イケメン大好き病』は変わらないらしく、
今でも年下の若いメンズと遊びに繰り出したりしているそうです。
また、来月の3日から始まるミュージカル
「COCO(ココ)」について、魅力や役どころなどのお話もお聞きしています。

<今陽子>
1951年、愛知県東海市生まれ。
1967年、15歳でビクターレコードよりソロ歌手として「甘ったれたいの」でデビュー。
1968年キングレコードに移籍後、ピンキーとキラーズのヴォーカリスト・ピンキーとして「恋の季節」「涙の季節」がブレーク。
歌謡賞を数多く受賞。
1972年ピンキーとキラーズ解散後、ソロ歌手に戻る。
最近はミュージカルなどの歌手活動のほかにも女優業に進出し、ドラマ、舞台などで活躍中。

10月18日~10月22日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」は、渡辺淳一さん

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今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、流行語「失楽園」を作り出した作家の渡辺淳一さんです。

10月25日(月)「初心な少年を初恋が変えた」
作家の渡辺淳一さんは子供の頃はうぶでした。初恋の相手は経験豊かな少女画家で、自分をいろいろと引っ張ってくれましたが、彼女は同時に多数の男性と付き合っていたので、嫉妬や理不尽といったことをいろいろ体感しました。しかし同時にこれが恋というものであることも知ったのです。
渡辺さんは高校時代に、女性に対するイメージが大きく変わったそうです。

10月26日(火)「人体解剖で体と心の違いに気がついた」
作家の渡辺淳一さんは医科大に入りました。解剖学の授業で人体を解剖してみたときに、誰であろうと人体が皆同じであることに気がつき感激したのだそうです。そして、解剖してみると人体は同じであるのに、人の内面は人によって大きく違うことにも気づきかれた、これが文学の道への入り口になったと回想されています。

10月27日(水)「いろいろな女性に出会った30代の話」
今でこそ売れっ子作家の渡辺淳一さんですが、最初は掲載される原稿が少なくて、持込をしたり苦労をしていました。その頃、いきつけの新宿の飲み屋のママが大きな声で励ましてくれて、言葉の大切さというものを知ったということです。
同じ頃 渡辺さん曰く、「糸のこぎり事件」を起こしてパトカーで連行されています。
そのとき、警察官に「作家」と言っても信じてもらえなかったのですが、その3ヵ月後にはリベンジができました。良かった良かった(笑)

10月28日(木)「恋愛は非論理的だから面白い」

作家の渡辺淳一さんは「失楽園」「愛の流刑地」のいずれの作品でも男女の恋愛をテーマに書いています。これはこんなに非論理的なものは無いので、とことんこれを追求してみたいと思ったからだそうです。
恋愛は男を変えると思うと渡辺さんは言います。
恋愛についての男と女の満足の仕方はぜんぜん違うので、二つの作品で、これを小説的にも追い詰めてみたのだそうです。

10月29日(金)「気持ちが元気だと長生きできる」

作家の渡辺淳一さんの最新作「弧舟」は、定年後の男性の姿を描いています。この歳になってやっと、自分もその歳になってはじめて、老いをテーマに書くことができるようになったと渡辺さんはおっしゃっていました。
世間から何も求められていない、生きがいの無い人間は病気になってしまう。いつも気持ちが元気だと長生きできると思う。これが渡辺淳一さんの持論だそうです。渡辺さんは今でも恋をしています。


<渡辺淳一>
北海道生まれ。医学博士。
1958年札幌医科大学卒業後、医療のかたわら小説を執筆。
1970年「光と影」で直木賞を受賞。1980年に吉川英治文学賞を、2003年には菊池寛賞などを受賞する。作品は、医学を題材としたものから、歴史小説、男と女の本質に迫る恋愛小説と多彩で、著作は計130冊に及び、文壇の第一線で活躍中。

10月18日~10月22日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」は、黒木瞳さん

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今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、黒木瞳さん!

10月18日(月)「自然に囲まれた少女時代」
福岡県の畜産業を営む7人家族の中で育った黒木瞳さん。
ヤンチャな末っ子だった黒木さんは、牛に追いかけられたこともあったそうです。
一方で、本が大好きだった黒木さんはいつしか女優という夢を抱き、ご両親の反対にあってしまいます。

10月19日(火)「宝塚の思い出」
記念受験として受けた宝塚音楽学校に受かってしまった黒木瞳さんは、
「もう戻りたくない」というほど厳しい稽古をつまれます。
舞台であまりの辛さに泣き出してしまうこともあったそうです。
先輩大スター・大地真央さんとのエピソードなどを伺っています。

10月20日(水)「映画デビュー、テレビドラマデビュー」
大地真央さんと同時に宝塚を引退した黒木瞳さん。
渋谷でナンパをされたり、テレビゲームをしたり・・・、
普通の女の子に戻ったような日々もつかの間、銀幕デビュー、そしてテレビドラマにも出演されます。
演技の勉強のため、銀座のクラブでホステスとして働いたときに、お客だったのは・・・
あんな大物俳優です。

10月21日(木)「結婚するまで。結婚した後。」
30歳のとき、広告代理店のプランナーとご結婚された黒木瞳さん。
CM制作時に出会い、広告代理店らしい、ちょっと変わったアプローチに戸惑いつつも、
デートを重ね、結婚されるまでをざっくばらんにお話いただきました。
その後誕生したお嬢さんとご夫婦のにぎやかな家庭の様子についても伺いました。

10月22日(金)「芸能生活を重ねて」
芸能生活を重ね、宝塚引退以来、また舞台に戻ってきた黒木さんですが、なかなかペースがつかめず、苦労されたそうです。
今年で芸能生活30周年を迎えた黒木瞳さんは、11月、明治座で座長を務められる
「取り立てやお春」についてお話を伺いました。
これから女優として挑戦したい役についてもお話いただいています。

<黒木瞳>
1960年、福岡県生まれ。
1985年に宝塚歌劇団退団後、女優として映画やドラマに数多く出演。
スクリーンデビューは1986年公開『化身』。
日本アカデミー賞新人女優賞を受賞し、注目を浴びる。
1997年には、社会現象を巻き起こした『失楽園』で
日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。
舞台やテレビドラマへの出演も多数。エッセイも執筆。

10月11日~10月15日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」は、藤岡弘、さん

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今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、藤岡弘、さん!

10月11日(月)「 父親から受け取ったモノ、受け取れなかったモノ 」
愛媛県のお生まれ。お父様は警察官、お母様は茶道や華道をたしなむという、まるでお武家さまのような家庭に育った藤岡弘、さん。小さい頃はお父様に「武道とその心」を教えてもらっていたそうですが、藤岡弘、さんが小学校6年生の時にそのお父様が突然の失踪。藤岡家は大黒柱を失って大変に厳しい生活を強いられることになってしまったそうです。そして、藤岡弘、さんが「仮面ライダー」の主演で注目を集め始めた頃にお父様から思いがけない電話が掛かってきて...。藤岡弘、さんのお父様とお母様について伺っています。

10月12日(火)「 仮面ライダー、へんし~ん 」
子供のころに見たさまざまな映画に触発されて俳優を目指したという藤岡弘、さんは高校卒業後に上京。始めのうちは何のコネもなかったものの、極貧生活に耐えながらアルバイトをしていた時期に松竹映画にスカウトされ、念願の俳優へ一歩近づくこととなります。そして、ついに「仮面ライダー」の主役の座を射止めることになるわけですが、撮影中に思わぬアクシデントに見舞われてしまい...。藤岡弘、さんがリュックサックひとつで上京し、四谷の土手で寝泊りしていた頃のお話。

10月13日(水)「 奇跡の復活でハリウッド進出 」
「仮面ライダー」の撮影中に大ケガをしてしまい一時は"再起不能"とまで言われた藤岡弘、さんは懸命のリハビリで奇跡の復活をとげ、その後、アメリカへ進出。ハリウッドにも認められる俳優となるのですが「ある理由」で再び日本に戻ってくることになります。果たして、その理由とは? 水曜日は、その辺りのことを語っていただきました。大ケガに関する痛~ぁい話を、嫌がる野村邦丸に、まるで楽しいことのように得意気に語る藤岡弘、さん。本当にイジワルな人です(笑)

10月14日(木)「 藤岡弘、探検シリーズ 」
俳優になるのと同じくらい探検家にもなりたかったという藤岡弘、さん。そんな藤岡弘、さんが隊長を務めるテレビ番組「藤岡弘、探検シリーズ」、皆様はご存知でしょうか?この番組の撮影中に起きた過酷な体験エピソードを中心に伺っています。何故か本当に大変な体験をしている時は、いつもカメラが回っていないんだそうです(笑)

10月15日(金)「 捨てて勝つ 」
真面目すぎるが故、ピュア過ぎるが故に人に騙されることも多いという藤岡弘、さん。しかし、お父様から譲り受けた「捨てて勝つ」という言葉を胸に、何事も常にプラスに考え、今後の人生の糧とするように努めきたそうです。藤岡弘、さんの生き方をちょっと哲学的(?)にお話していただきました。本当に元気な64歳です!

<藤岡弘、>
1965年、松竹映画にてデビュー後、青春路線で活躍。
1971年、「仮面ライダー」で一躍ヒーローに。
映画は、「日本沈没」「野獣死すべし」「大空のサムライ」他、TVは、「勝海舟」「白い牙」「特捜最前線」「あすか」テレビ朝日「藤岡弘、探検シリーズ」他、主演多数。
現在は、NHK「熱中時間」の"熱中人探検"のコーナーや、日本テレビ「おもいッきりイイ!!テレビ」にて"食材バカ一代"のコーナーにレギュラー出演中。
1984年、ハリウッド映画「SFソードキル」の主役に抜擢され、国際俳優として、スクリーン・アクターズ・ギルド(米国俳優協会)のメンバーとなる。「K2」「香港・東京特捜刑事」にも出演し、ハリウッド関係者との親交も深い。
CMでは、セガサターン、オートレースで二年連続CM大賞を受賞。
斬(真剣による演武)を行う武道家としても知られ、柔道、空手、刀道、抜刀道、小太刀護身道他、あらゆる武道に精通。
民間ボランティア団体の理事も務め、メンバーと共に、国内はもとより世界数十カ国の紛争地域、難民キャンプにて救援活動を展開している。

今週は美保純さんが登場!

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子供の頃は何かと目だって、イジメに会うこともしばしばだったという美保純さん。

でも、いじめられたら必ずやり返すのがモットーだったとか。

そんな美保純さんの幼少期から、スタッフも驚くほどの見識を身に付けた今の美保純さんに至るまでの「バイオグラフィー」を1週間かけてお届けします。


今週から、長年「邦流」として応援してもらったこの企画は、「ラジオ・バイオグラフィー~5冊のアルバム」とタイトル変更します。

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