終わりよければ・・・(放送終了)

アクティビスト・ジャパンの最近のブログ記事

相撲のフリーペーパー「TSUNA」を発行、ミュージシャンの竹内一馬さん

k20130312b.jpg0(ゼロ)からはじめる相撲オタクになるマガジン「TSUNA」を発行している
ミュージシャンの竹内一馬さんにお越しただきました。
1981年三重県生まれ、音楽活動に目覚め高校卒業後に上京するも、
バンドは全く売れず路上での弾き語り生活。亀戸の路上で歌っていた
竹内さんに、3人の駆け出し力士が声をかけてきました。
この中に、当時序二段力士だった豊ノ島関がいました。
ミュージシャンと力士たちは意気投合し朋輩となるも、いったん疎遠に。
ところがSNS経由で豊ノ島関と劇的な再会を果たし、2010年の九州場所での
豊ノ島対白鵬の優勝決定の大一番を見て、一念発起。全くの素人ながら、
相撲のフリーペーパーを創刊しました。
苦労も多いそうですが、相撲好きのやくみつるさんも「質が高くてびっくりした」
というこの「TSUNA」、タワーレコードやヴィレッジヴァンガード等
全国400箇所に置いてあります。
すぐなくなってしまう超人気フリーペーパーですが台所事情は厳しいとか。
定期購読してくださる方、また、賛同してくださる企業の方、募集です!

TSUNA 公式サイト
http://tsunage.info/

「女川さいがいエフエム」現役女子高生アナウンサーの阿部真奈さん

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宮城県女川町の臨時災害放送局「女川さいがいエフエム」のアナウンサーで、

この春から大学に進学する現役高校生の阿部真奈さんにお越しいただきました。

真奈さんが高校1年生だった2年前の3月11日、津波で祖父、母、姪の3人を目の前で

失うという悲劇に見舞われました。その後の避難所生活の中で、「女川さいがいエフエム」に

誘われて番組作りに参加。ラジオを聴いたこともなかった真奈さんですが

今ではマイクに向かって話すことに生き甲斐を見出しました。将来の夢が、

パティシェから報道の道に変わりました。

春から東京の大学に進学する真奈さんですが、引き続き女川さいがいエフエムには

定期的に出演します。女川さいがいエフエム、女川町以外の方でも

インターネットラジオでお聴きいただけますので、詳しくは公式サイトをごらんください。

そして来週の月曜、3月11日に、くにまるジャパンがこの女川さいがいエフエムから

4時間半の生放送をお送りします。

 

女川さいがいエフエム 公式サイト

http://onagawafm.jp/

不妊治療体験の著書「タネナシ。」ロックスターのダイアモンド☆ユカイさん

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ロックシンガーで、自らの不妊治療を赤裸々に綴った著書「タネナシ。」を出版された
ダイアモンド☆ユカイさんにお越しいただきました。
伝説のロックバンド「RED WARRIORS」の活動後ソロに。2度目の結婚で、初めて子どもを
望んだユカイさん、検査で「精子ゼロ」との宣告を受けます。そこからユカイさんの
壮絶な「男の不妊治療」がスタート。睾丸の一部を切り取って検査するなど、心身の負担、
そして金銭的な負担も大きい中、あきらめずに治療を続けた夫婦に、2010年念願のお子さんが誕生。
その時の気持ちを、ユカイさんが率直に話してくれました。
また、本業のミュージシャンとしても、男が泣ける男の歌を集めたカバーアルバム
「Respect」が絶賛発売中です。

ダイアモンド☆ユカイさん オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/diamondyukai/

被災地の瓦礫、全壊した実家の床柱でできた三味線を演奏・津軽三味線奏者の浅野祥さん

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10代半ばで津軽三味線全国大会の三連覇を果たした、津軽三味線奏者の
浅野祥さんにお越しいただきました。
宮城県仙台市生まれ、22才の浅野さん、5才で三味線を始めて以来、三味線の
各種大会の最年少優勝記録を次々に塗り替え、2007年、高校在学中にメジャーデビュー。
才能溢れる若き三味線奏者です。
震災当時は神奈川の妹さんの家にいた浅野さん、震災後すぐの4月から被災地を回って
三味線の演奏を続けます。以前このコーナーに出演いただいた、瓦礫を使って三味線を作る
「ゼロワン・プロジェクト」の三味線も加わり、さらには全壊した実家の床柱から作った
三味線も。津軽三味線という楽器をもっと世界に広めて、併せて独特の音階がある
日本の音楽をもっとPRしたいそうです。是非ライブに来てください!
5/10(金)浅野祥ツアー「パレード」ファイナル公演が渋谷の伝承ホールであります。
詳しくは浅野さんの公式サイトをご覧下さい。

浅野祥 オフィシャルサイト
http://www.j-s.co.jp/asano/index.html

障害を持った方を戦力に!とにかくおいしいスワンベーカリー

今日のアクティビストは、全国にスワンベーカリーを展開なさっています、株式会社スワンの代表取締役社長、海津歩(かいつ あゆむ)さん。

日本では、人口のおよそ6%、720万人以上の方が障がいを持ち、大半の方は、全国に6000箇所以上ある、共同作業所や小規模授産施設で、月給1万円ほどの低い賃金で働いています。
そんな中、全従業員の7割、300人以上の障がい者に月給10万円以上を支払うことを目標に、全国に直営店、フランチャイズを合わせて28店舗を展開しているのがスワンベーカリーというパン屋さんです。
「障がいのある人もない人も共に働き、生きて行く社会の実現」を理念に掲げる海津歩さんに熱く語っていただきました。

 

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障害は個性のひとつ。小さくてもいいから早く成功体験を積み重ねて言って、障害者と言えども戦略に育てていくことを意識しているそうです。

このスワンベーカリーの最初の一歩は、今から18年前の阪神淡路大震災。作業所では月給5,000円という金額で働いている人が。
ただ、商品を見て見るとやはり粗悪で、まずは商品が良くなければと思ったということです。
「きのう障害者のイベントでこけしを買いました。今日もこけしいかがですか?」と言われても、こけし収集家でない限り買わない。
とにかく「必要とされるものを作ろう」と考えたそうです。

スタジオにはたくさんのおいしいパンを持ってきてくれました。
障害者の方が作ったということと関係なく、味といい香りといい素晴らしいメロンパンをくにまるさんもスタッフを堪能しました。

スワンベーカリーのホームページはこちら。
http://www.swanbakery.jp/

放送を聴いて、スワンベーカリーを既に知っているリスナーさんや、この機会に行ってみたいというリスナーさんから、たくさんの反響を頂きました。

チャイルド・ライフ・スペシャリストの大曲睦恵さん

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医療環境にある子どもと家族に、主に遊びを通して、医療経験が少しでも怖くならないよう

サポートを行う「チャイルド・ライフ・スペシャリスト」の大曲睦恵さんにお越しいただきました。

大学在学中に、日本初のチャイルド・ライフ・スペシャリストの方のニュースを目にして

興味を持ちました。卒業後、この仕事の発祥の地へと渡米、大学院で学び資格を取得後

帰国、チャイルド・ライフ・スペシャリストとして勤務しています。

子どもが経験する検査や処置、手術などの医療経験について、心の準備や

経験を消化できるよう、お医者さんごっこなど、遊びを通してお手伝いをしています。

入院中の子どもの家族(親や兄弟姉妹)への支援も。

まだ日本で従事している人は少ないですが、今後この仕事の可能性を示せるよう、

理論や実践から成果を積み重ねていきたいそうです。

快進撃でJFL入りを果たした「福島ユナイテッドFC」代表・鈴木勇人さん

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サッカーの地域リーグ「東北社会人リーグ」で2連覇を果たし、
天皇杯でもJ2の優勝チームやJ1リーグのチームを破りベスト16入り、
念願のJFL入りを果たした「福島の奇跡」といえる快進撃の
サッカー福島ユナイテッドFC。代表の鈴木勇人さんにお越しいただきました。
1972年生まれ、みずからもサッカーの福島代表から大学、社会人とプレーした鈴木さん、
建築士としても邁進する一方で、経営難に陥っていた福島ユナイテッドを鈴木さんら
地元経済界の有志で譲り受け、新生福島ユナイテッドが誕生。
しかしその1ヶ月後にまさかの大震災発生、原発事故。福島さん「まさに悪夢でした」。
地元を離れざるを得ない選手やスタッフもおり、無期限の活動休止に追い込まれました。
避難所の炊き出しをしている時、地元の子どもが泣きながら聞いてきた
「ユナイテッドなくなっちゃうの?」という言葉に、福島の子供たちが不安でしょうがないのに、
我々大人があきらめちゃいけない、あきらめずに踏み出そう!と決意し、チームの活動を再開しました。
今回の快進撃の背景には、覚悟を決めていま福島のチームにいる選手が
地元の皆さんの思いを旨に戦う意義を強く感じ、絶対に負けられない、という絆が生まれたんだと思います。
これからの福島ユナイテッドFCを是非応援して下さい!

福島ユナイテッドFC 公式サイト
http://fukushimaunited.com/

スキャットの女王・伊集加代さん

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スキャットの女王こと、シンガーの伊集加代さんにお越しいただきました。
「アルプスの少女ハイジのテーマ~おしえて」「11PMのテーマ」
「ネスカフェゴールドブレンドCMソング・めざめ」等をはじめ、
本当にたくさんの歌、そしてバックコーラスを歌ってらっしゃいます。
アイドルから実力派まで、いろんな方のコーラスを務めましたが、
ピンクレディは、デビューからずっとレコーディングでバックコーラスをしていて
去年コンサートのファイナルに呼ばれた時は嬉しかったそうです。
今年で76歳の伊集さん、スタジオでその美声コーラスを披露していただきましたが
当時と全く遜色ない美しい歌声にうっとり!
伊集さんのスキャットが満喫できるCD「リヴィング・スキャット」
「リヴィング・スキャット・エレガンス」好評発売中です。

数々の合唱団を指導・音楽家の柳川直則さん

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音楽家の柳川直則さんさんにお越しいただきました。
1932年生まれ、東京芸大声楽科を卒業後、オーケストラの指揮、数多くの合唱団の指導などを
されています。中でも、大学や企業を超えたメンバーで結成された新声会は結成55年を数え、
海外公演もこなすほど。
また、柳川さんの作曲した幾つかの組曲の歌詞が、元ハンセン氏病詩人の塔和子さん作で
あることから、ハンセン氏病国立療養所を訪ねる演奏活動もしています。
柳川さんにとって合唱とは、歌を通して自分を鍛える道場だそうです。
だから指導も厳しいとか(柳川先生の教え子の某くにまるディレクターによると「厳しかった!」)
来年4月28日渋谷区文化総合センター大和田のさくらホールで新声会の定期演奏会があります。

写真集「東北」で木村伊兵衛賞を受賞した写真家の田附勝さん

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東北をテーマに撮り続けた写真集「東北」で、木村伊兵衛賞を受賞した
写真家の田附勝さんにお越しいただきました。
フリーランスで活動していた当初は、いわゆるデコトラの写真をずっと撮り続け
写真集「デコトラ」を発表。デコトラに乗るトラックドライバーに惹かれ、9年間も
撮影を続けました。
「東北」は2006年から撮り続けた作品。岩手の鹿猟に魅せられるも、写真を
撮らせてもらうまでは時間がかかったそうです。そして東日本大震災。すぐに現地・
釜石入りし、大きなショックを受けました。写真集に登場している、突棒漁師・中居林氏の
「俺、負けねえから。」という言葉、田附さんの中で最も印象に残っているそうです。
写真集「東北」リトルモアから2200円+税で好評発売中です。

田附勝さん 公式サイト
http://tatsukimasaru.com/

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